北九州総合ウロギネセンター誕生ストーリー
北九州総合病院でなぜ現在のようなウロギネセンンターをおこなうようになったのか?思えばそれはドラマだったんですね。そのドラマについてお話をします。
そうですのむさんは一度も北九州総合病院では常勤医としてはたらいたことはないのです。のむさんは産業医大のときから産婦人科の先生とともにウロギネを専門的にみていました。このころには非常の多くの方がウロギネの診療をうけるために産業医大に集まってきていました。ところが、のむさんは大学医局の人事で2008年4月から小倉南区葛原にある九州労災病院に勤務することになりました。当然のようにウロギネの病気で困った患者さんはうわさをききつけて九州労災に受診されました。しかし九州労災病は泌尿器科の手術枠がすくなく、ウロギネの手術はいれられません。4月に赴任して5月には1年間のウロギネの手術枠が埋まってしまうという状況。それでも九州労災は古い体質ですので急に手術枠がふえるわけではありません。困ったのむさんは、九州労災から近い北九州総合病院の泌尿器科部長の池さんに相談。もともと池さんとはいろいろな付き合いがある友達でしたので、まあ気軽に相談できたというわけです。そしたら、「じゃあうちで(北九州総合病院)でやったら!」との意見。うれしかったですね、その一言。サンリブタウンにあるスタバで話し合ったことをよく覚えてきます。「じゃあ、病院と相談してみましょう!」ということではじまりました。さっそく、北九州総合病の理事長、院長、事務長、麻酔科部長、オペ室師長などと交渉。九州労災の勤務がおわる17時から月曜日、金曜日に手術をやらしてくれないかという規格外の計画。にもかかわらず、なんと話がトントン拍子ですすんで、6月ことには実現してしまったんですよね。ほんとうに北九州総合病院の上層部、麻酔科やオペ室スタッフ、病棟スタッフ、そしてもちろん池さんには感謝しています。そのうちに土曜日にも手術をするようになって、北九州ウロギネセンターの基礎ができてきました。それから2009年4月からはのむさんは千葉県の亀田総合病院にうつったのですが、北九州へは月に1週間くるという現在のかたちができあがりました。そのことも亀田総合病院の経営部は理解してくれました。やはりタイミングなんでしょうが、なにか不思議なくらいいいタイミングでできた北九州ウロギネセンター。現在では大阪以南ではもっとも症例数の多い、ウロギネ専門センターと成長しています。うまく行くときってそんなもんなんでしょうね。これからも情熱をもって盛り上げていきましょうね。